特別講座 仏教入門
    PTA公開講座報告
     

 この特別講座「仏教入門」は2001年度にPTA講座として行ったものです。

  1.インド思想の中の仏教
    はじめに
    バラモンの思想
    輪廻と解脱 
    自由思想家の登場
    ブッダの誕生
  2.初期仏教の思想
    仏陀の覚った真理
    知恵と慈悲
  3.仏教の発展
    大乗仏教の思想
    般若心経
  4.仏像の誕生と展開
    大乗仏教と仏像の誕生
    仏と仏性
    さまざまな仏たち



1.インドの思想の中の仏教


はじめに

 毎日テレビや新聞で多くの死が報道されています。でもそれらの死は私にとって物語の中の死のように実感の伴わない死です。まして自分自身が死ぬことを考えると、非現実的で、漠然とした不安を感じてしまうばかりです。しかし、古代から死は人間にとって最も大きな苦しみであったし、また人間はその死を見つめることを通して、生の意味を作り出そうとしてきました。そして古代インドの思想は、死の苦しみはどうしたら乗り越えることができるのかということを中心に展開されたのです。

 

バラモンの思想

 紀元前15世紀ころ、西方よりインド西北部に進入したアーリア人たちは先住民族を圧迫し、また同化しながら定住し、農耕生活を始めました。彼らは神々への祭式を発達させ、祭式を通して神々を動かし、闘いに勝利したり豊穣をもたらそうとしました。そしてその神々への讃歌や祭式の方法が述べられたヴェーダとよばれる聖典が編纂されました。そこには、宇宙創造に関する歌や、英雄神インドラや火の神アグニなどを讃える歌が見いだされます。時代が下がるとさらにその祭式の意味について思索が深められ、前6世紀にはウパニシャッドと呼ばれる哲学的思索の書が形作られました。そのウパニシャッドの中で展開されたのが輪廻と解脱の思想でした。

 

 千の目を持つ戦士インドラ

輪廻と解脱  

 輪廻とは、生き物がそれぞれの業(カルマ=行為の余力)によって生と死をくり返すことをいいます。つまり現在の生のあり方が次の生のあり方を決定するというのです。しかし、インドの過酷な自然のもとでは生と死の繰り返しは苦痛だったのでしょう。この輪廻転生は何とかして断ち切られるべきものと考えられたのです。祭式を司っていたバラモン(祭祀階級)たちは、祭式を行いその意味を知る者だけが、神秘的な智慧と儀式の力によって輪廻から抜け出し得るといい、その解脱の境地を個々の人間の魂(本体)であるアートマンと宇宙の原理ともいうべきブラフマンとの一体・合一すること(梵我一如)であると説いたのでした。 

 

自由思想家の登場

 紀元前7世紀を過ぎると農業の富が蓄積され次第に商工業が栄え、いくつもの都市国家が成立するようになります。新しく力を持った王族や商工業者は、これまでのバラモンの思想に代わる新しい思想をもとめ始めました。そして、それら勢力を代表する思想家としてブッダやマハーヴィーラなどが活躍したのです。(仏典の中では六師外道として描かれています)かれらはヴェーダの権威を認めず、ウパニシャドが主張した宇宙原理が実在するとは認めませんでした。そして独自に、この苦しみの世界からの脱出、輪廻的生存からの解脱を追求したのでした。それらの主張は快楽論を説く者や、徹底した唯物論を展開する者など様々でしたが、その中の一人、今日のインド社会でも大きな勢力を持っているジャイナ教の教祖マハーヴィーラはクシャトリア出身で、解脱のため厳しい苦行と戒律を守ることを説きました。そして仏陀もまたこのような新しい思想家の一人だったのです。

 

ブッダの誕生

 ガウタマ=シッダルタはシャカ族の王子として現在のネパール南部に生まれました。16歳で結婚し一子を得、何不自由のない生活を送っていました。そのような王子がなぜ家を出悟りを求めようとしたのか、仏典には次のような出来事が起こったと書かれてあります。ある時彼が外出のため東の門から出たところ老衰のため哀れな状態となった老人に出会う。別の日南の門から出たところ重病人を見て病の避けられないことを知り、さらに西の門から出た時には、死人が担架に乗せられ嘆き悲しむ遺族がつき従うのを見かける。最後に北門から出たとき、彼は柔和平静な出家者に出会ったというのです。

 摩耶夫人像 7世紀(東京国立博物館)

                          (摩耶夫人の右脇から仏陀が生まれ出ている)

 

生老病死を始めとして世界が苦しみに満ちていると知った彼は、苦しみから逃れる方法はないのかと考えた末、出家者生き方を選び妻子を捨て王宮を出たのでした。29歳のときです。その後彼は6年間の他の修行者に混じって苦行をおこないますが、結局真理を得ることはできなかったといいます。そしていたずらに肉体を痛める苦行は人生の苦しみから脱却する方法にはならないと判断した彼は苦行を捨て静かに菩提樹の下で瞑想をおこないます。ようやくそこで解脱に関する真の知恵を得たのでした。

   修行する仏陀像(2C後半ガンダーラ)

 

仏典にはつぎのように語られています。

比丘たちよ、聖なる真理としての苦とはこれである。生まれることも苦であり、老いることも苦であり、病むことも苦であり、死ぬことも苦である。悲しみ・嘆き・苦しみ・憂い・悩みも苦である。憎いものに会うことも苦であり、愛するものと別れることも苦であり、欲するものを得られないことも苦である。

 比丘たちよ、聖なる真理としての苦の生起の原因とはこれである。それは再生をもたらし、喜びと貪りをともなって、いたるところの対象に愛着する渇愛である。それは、すなわち、性欲と生存欲と生存を否定する欲とである。

 比丘たちよ、聖なる真理としての苦の消滅とはこれである。すなわち、その渇愛を残ることなく離れて滅し、捨て、捨離し、解脱し、執着のないことである。

 比丘たちよ、聖なる真理としての苦の消滅に導く道とはこれである。それは八つの聖なる道である。すなわち、正しい見解、〔正しい思惟、正しいことば、正しい行為、正しい生活、正しい努力、正しい念い、〕正しい精神統一である。

         野々目了訳「四つの聖なる真理」(『原始仏典 6巻 ブッダのことば4』より)

 

2.初期仏教の思想

仏陀の覚った真理               

 仏教においてはブッダは真理をさとった人であり、人々はブッダの教えを学びながら自らも真理をさとる(ブッダになる)ことを目標にしています。これが例えばキリスト教のように、唯一絶対の神による救済といった考え方とは異なる仏教の大きな特徴です。では、そのブッダが覚った真理とはどのようなものだったのでしょうか。

                      

                        蓮華に座るブッダ(チベットの絵画)                

 仏典に次のような話があります。「ある時、小さなな赤ん坊を亡くしてしまった若い母親がいた。彼女は大変嘆き悲しみ何とか赤ん坊を生き返らせたいと、ブッダのところへ願い出た。ブッダは母親に向かって、赤ん坊を生き返らせてあげよう、村へ行って芥子の実を二・三粒もらってきなさい。ただしその芥子は今まで一度の死者を出したことのない家からもらってくるのだ、と言った。母親は喜び、村へ行き家を一軒一軒訪ねた。しかし母を失い、あるいは子を失った家はあっても、今まで死者を一度も出したことのない家などなかった。最初は半狂乱であった母親も村のすべての家を回ったときには自分の子供の死をようやく素直に受け入れていた」。

 この話はどのようなことを言っているのでしょうか。自分の愛する子どもを亡くするということだけではなく、この世界は苦しみに満たされています(一切皆苦)。しかし、なぜ苦しいという感情が起こるのでしょうか。人が生まれ、成長しそして必ず死ぬように、この世界のあらゆる現象は変化してやみません(諸行無常)、そして世界のあらゆる存在にも人間の心にも永遠不変の確固たる実体などありません(諸法無我)。にもかかわらず、人はそれに執着し変化を受け入れず、不変不動を求めようとします。そのような執着心(煩悩)が苦しみを生み出す原因なのです。ブッダは、この一切のものは変化するという真理を見据えて煩悩を滅することができれば、心のやすらぎが実現する(涅槃寂静)と説いたのです。この一切皆苦・諸行無常・諸法無我・涅槃寂静は四法印といわれ、仏教の中心思想とされています。

 

                                     

                                                  教えを説くブッダ(転法輪印を結ぶ)インド

 

  またブッダはあらゆる苦は原因・条件があって起こり、原因・条件の消滅によって苦も消滅することを説きました。この〜に縁って起こることを縁起という。苦の原因は渇愛(あれこれと欲する根源的な欲望)であり、それは無明(この世界を実体あるものと思いこむ根本的な無知)ともいわれるのですが、無明を離れることによって苦を消滅させることができると述べています。この苦の原因を探る縁起説はのちに、無明から苦へ至る原因の連鎖を詳しく分析した十二縁起説にまとめられるのですが、このような真理は苦・集・滅・道という四諦 (四つの真理)説として初期の教典には述べられています。また、真理を得るための実践方法は、八正道(八つの正しい修行法)としてまとめられています。

 

智恵と慈悲

 ブッダは、自らの覚った真理を自分一人の中にとどめるのではなく、すべての人々に伝えようとしました。仏教においては世界を理解する知恵は常に、人々の苦しみを取り除き、楽を与えようとする慈悲の実践と結びついています。抽象的な論議、議論のための議論は必要ではありません。この世界で苦悩や欲望にとらわれた人間は矢に当たった男と同じだとブッダはいいます。その男にとっては何よりもまず矢を抜き、傷の手当をすることが必要であるのと同様に、人々に必要なのは苦しみの原因である煩悩や欲望という矢を取り除くことであって、世界は永遠であるとか、死後どのようになるかなどという問に答え、単に好奇心を満足させることは本来の目的の妨げになると考えたのです。

 

 

3.仏教の発展

 

大乗仏教の思想

 ブッダの死後教団が形成され、その教えは平明な詩句や短い散文にまとめられました(結集ー仏典の編纂といいます)。しかし仏教が各地に広がると同時に戒律をめぐる対立が起こりました。戒律に対し厳格で保守的なグループである上座部と戒律の実情に合わせた変更を認めようとする大衆部に大きく分裂し(根本分裂)、さらに再・細分裂が起こってその後の百年間に二十あまりの部派が成立したといわれています(部派仏教の時代)。

 一方で出家修行する僧たちとは別に、ブッダの遺骨を納めた仏塔を信仰するなど在家信者としての戒律・信仰を守っていた人々が中心となって仏教の革新運動が起こってきます。一人修行に励み阿羅漢を目標とする従来のあり方を否定して、出家・在家の区別なく利他の救済を強調した彼らは自ら、それまでの仏教をヒーナ(小さな)ヤーナ(乗り物)と非難し、自らの教えをマハー(大きな)ヤーナ(乗り物)=大乗と称しました。大乗仏教の成立です。初期の大乗仏典である『唯摩経』などは出家僧ではなく在家の実践者が主人公になっています。大乗仏教では、自らも悟りを求めながらすべての人々と共に救われようとする修行する菩薩が理想とされ、その精神として楽しみを与え、苦を取り除くという慈悲の心が強調され、実践としては六波羅密の実践が主張されます。そしてその理論として一切のものは自性(本質)をもたないという空の思想が展開されました。

 

                                         

普賢菩薩像 藤原期

 

 

般若心経ー空の思想のエッセンス

 

  般若波羅蜜多心経     唐の三蔵法師玄奘訳す

  観自在苦薩、深般若波羅蜜多を行じし時、五皆空なりと照見して、一

切の苦厄を
度したまえり。舎利子よ、色は空に異ならず。空は色に異なら

す。色はすなわちこれ
空、空はすなわちこれ色なり。受想行識もまたまた

かくのごとし。舎利子よ、



 全知者である覚った人に礼したてまつる。

 求道者にして聖なる観音は、深遠な智慧の完成を実践していたときに、存在するものには五つの構成要素があると見きわめた。しかも、かれは、これらの構成要素が、その本性からいうと、実体のないものであると見抜いたのであった。

 シャーリプトラよ、

 この世においては、物質的現象には実体がないのであり、実体がないからこそ、物質的現象で(あり得るので)ある。

 実体がないといっても、それは物質的現象を離れてはいない。また、物質的現象は、実体がないことを離れて物質的現象であるのではない。

(このようにして)およそ物質的現象というものは、すべて、実体がないことである。およそ実体がないということは、物質的現象なのである。

 これと同じように、感覚も、表象も、意志も、知識も、すべて実体がないのである。

  シャーリプトラよ

 

 

 
この諸法は空相にして、生ぜず、滅せず、垢つかず、浄からず、増さず、減らず、この故に、空の中には、色もなく、受も想も行も識もなく、眼も耳も鼻も舌も身も意もなく、色も声も香も味も触も法もなし。眼界もなく、乃至、意識界もなし。

 この世においては、すべての存在するものには実体がないという特性がある。 生じたということもなく、滅したということもなく、汚れたものでもなく、汚れを離れたものでもなく、減るということもなく、増すということもない。

 それゆえに、シャーリブトラよ、

 実体がないという立場においては、物質的現象もなく、感覚もなく、表象もなく、意志もなく、知識もない。眼もなく、耳もなく、鼻もなく、舌もなく、身体もなく、心もなく、かたちもなく、声もなく、香りもなく、味もなく、触れられる対象もなく、心の対象もない。眼の領域から意識の領域にいたるまでことごとくないのである。

 

 



無明もなく、また、無明の尽くることもなし。乃至、老も死もなく、また、老と死の尽くることもなし。苦も集も滅も道もなく、智もなく、また得もなし。得る所なきを以ての故に。菩提薩 は、般若波羅蜜多に依るが故に。心に なし。 なきが故に恐怖あることなく、(一切の)顛倒夢想を遠離しで涅槃を究竟す。

(さとりもなければ、)迷いもなく、(さとりがなくなることもなければ、)迷いがなくなることもない。こうして、ついに、老いも死もなく、老いと死がなくなることもないというにいたるのである。苦しみも、苦しみの原因も、苦しみを制することも、苦しみを制する道もない。知ることもなく、得るところもない。それ故に、得るということがないから、諸の求道者の智慧の完成に安んじて、人は、心を覆われることなく住している。心を覆うものがないから、恐れがなく、顛倒した心を遠く離れて、永遠の平安に入っているのである。

 



三世諸仏も般若波羅蜜多に依るが故に、阿 多羅三三菩提を得たまえり。故に知るべし、般若波羅蜜多はこれ大神 なり。これ大明 なり。これ無上 なり。これ無等等 なり。よく一切の苦を除き、真実にして虚ならざるが故に。般若渡羅蜜多の を説く。すなわち を説いて日わく、掲帝 掲帝 般羅掲帝 般羅僧掲帝 菩提僧般若波羅蜜多心経



 過去・現在・未来の三世にいます目ざめた人々は、すべて、智慧の完成に安んじて、この上ない正しい目ざめを覚り得られた。

 それゆえに人は知るべきである。智慧の完成の大いなる真言、大いなるさとりの真言、無上の真言、無比の真言は、すべての苦しみを鎮めるものであり、偽りがないから真実であると。その真言は、智慧の完成において次のように説かれた。

 ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー

 (住ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く住ける者よ、さとりよ、幸  あれ)

ここに、智慧の完成の心が終った。

 

 

 

 

4.仏像の誕生と展開

 

大乗仏教と仏像の誕生

  ブッダの死後400年あまり、教団の中でブッダの姿が描かれるということはありませんでした。当然「すべてのものは移り変わる」「あらゆるものには実体はない」という教えからは、像を造りそれを崇拝するという姿勢は出てこないものでした。しかし、在家の信者たちは各地に造られた仏塔(ストゥーパ;遺骨を納めた場所)に集まりブッダへの信仰を強めていました。有名な仏塔の一つであるサーンチーの遺跡にある塔門や横梁にはブッダの誕生の物語(ジャータカ)やブッダを讃えるためのレリーフがびっしりと刻まれています。そこにはブッダの姿はありませんがブッダを暗示する法輪や仏足跡などが描かれています。                   

    

法輪(ブッダの象徴)     仏足跡(足跡に対する崇拝はインドに古くからあった)いずれもサーンチー

 

  そして1世紀、仏滅後500年がたってはじめて仏像が、ガンダーラとマトゥラーという二つの地域でほぼ同時期に生まれます。

                

      端整な顔立ちをした菩薩像 ガンダーラ出土         仏座像 1.2世紀 マトゥラー博物館

 

 紀元前2世紀頃から紀元後1世紀頃まで、中央アジアを根拠とする騎馬民族が波状的に南下し、インド侵入を繰り返しました。ギリシャ人、サカ(スキタイ)人、パルティア人、クシャーン人。インドの叙事詩『マハーバーラタ』には次のような記述があります。「不浄な野蛮人が、わが聖なるバーラタバルシャの地を踏みにじる。彼らは殺し、奪い、世は乱れ狂う。人々の知恵と力は衰え、偽善に満ち、貪欲と無知と憎悪を抱いて互いに殺し合う」このような未曾有の混乱の中で民衆は「救い」を求め、その民衆の救済願望が仏像の誕生につながったのでないでしょうか。そして、まさにこの時期は大乗仏教の成立と期を同じくしているのです。「知恵」の宗教から「慈悲」の宗教へ、「悟り」の宗教から「救い」の宗教へ、仏教は大きく変化していくのです。

 

 

仏と仏性

  歴史的存在としてのゴータマは500年あまり前に誕生し、悟りを開きそして入滅しました。いくら救いを求めようとしても、すでにブッダの姿も形も声も遙か時間の彼方に消え去ってしまっています。そこで、大乗仏教ではその肉体は滅びようとも、その本質=仏性は不滅であり永遠であると説きます。すべての存在は仏性を持つのです。(一切衆生悉有仏性)。この思想は如来蔵思想として発展していきます。そしてブッダという存在を、衆生を救うために法を説く身体をもって生まれ死んでいったブッダ(応身仏)と、不滅の真理として法そのものとして時間を超え人格性をもたないブッダ(法身仏)と、衆生救済の願をたて修行をしその功徳によって身体を獲得した真理の生きた姿としてのブッダ(報身仏)の三身として存在すると考えたのです。そうすると、仏は歴史的に一度きりの存在ではなく、過去にも未来にも、またこの世界とは違う別の世界にも存在し、また仏陀となるべく修行する様々な菩薩たちも存在することになります。このようにして民衆の中に、諸仏・諸神の信仰が広がっていきました。

 

 

様々な仏たち

◆如来 如来はサンスクリットのTatagata(真如より来たれるもの)の意訳で、仏陀はBuddha(真理をさとった人)の音訳で、どちらも同じような意味です。はじめは現世における仏教の開祖ゴータマのみをさしましたが、やがてゴータマより以前にあらわれた仏陀(過去仏)、未来にあらわれることが約束されている仏陀(未来仏、当来仏)、十方世界の仏陀(十方仏)などが考えだされました。如来の像は一般的に、袈裟とよばれる長方形の僧衣1枚で身をつつむ出家者の姿にあらわされます。また経典には如来の身体的特徴である「三十二相」がしるされており、さらにそれを細かくした「八十」がさだめられていきましたが、実際の造形にはそのうち表現可能なものが選択されています。

 釈迦如来 釈尊の像には、35歳で悟りを開いて仏陀になるまでの菩薩形と、仏陀となって布教活動をつづけ80歳でなくなるまでの如来形とがあります。これらは各場面ごとに特徴ある姿に定型化され、インドからつたえられて中国や日本でも広くおこなわれました。このような仏伝図の釈迦像とは別に、単独の礼拝像としてもインド以来数多くの釈迦如来像がつくられています。立像、坐像、両足を台座の前におろして腰かける像などがある。釈尊の左右にを配した三尊像の形式もインド以来のものです。脇侍の種類にはさまざまな組み合わせがあって、観音菩薩と弥勒菩薩、梵天と帝釈天、薬王菩薩と薬上菩薩、普賢菩薩と文殊菩薩、釈迦十大弟子のと阿難などがあります。

              

            安居院  釈迦如来像

   

 弥勒如来 弥勒如来は釈迦以外の如来としては早くに経典にあらわれます。弥勒は釈迦の次に仏陀となることが約束されている菩薩で、現在はで修行しながら説法をしていて、釈迦の入滅後56億7000万年後にこの世におりてきてバラモンの家に生まれ、釈迦と同様に出家し、悟りをえて仏陀となりの下で説法し、多くの人々を救済すると考えられました。このため弥勒に対する信仰には、死んだのち弥勒菩薩のいる兜率天に生まれることをねがう「信仰」と、未来の弥勒仏の世に生まれかわって竜華樹下の説法にのぞみたいとねがう「信仰」の2つがあります。釈迦と弥勒だけは如来と菩薩の2通りの姿であらわされます。

                   広隆寺 弥勒像

 

 阿弥陀如来 阿弥陀如来は十方世界のひとつ、西方極楽世界の教主。両手を胸の前にあげて説法印をむすび西方極楽浄土で説法する姿のものや、西方極楽浄土からこの世へ往生者を迎えにくる来迎印のものなどがあります。阿弥陀には観音菩薩と勢至菩薩が脇侍となっています。平安時代より後、最も日本で信仰された仏といえるでしょう

 

               浄瑠璃寺 九体の阿弥陀仏

 

 薬師如来 薬師如来は十方世界のひとつ、東方瑠璃光世界の教主。来世の極楽往生を説く阿弥陀とは対照的に、現世での病気回復、延命、(罪を仏前で懺悔し罰をのがれること)など、現世利益的信仰をあつめました。中国や日本では、古くは印をむすぶだけの作例がみられますが、7世紀の終わりごろから左手に宝珠やをもつものがみられるようになりました。薬師には日光菩薩と月光菩薩が脇侍となっています。

    

 

 毘盧舎那仏 「光明があまねく照らす」という意味で、華厳経や梵網経に説かれる華厳教の世界の教主。1000枚の蓮弁に100億の釈迦如来を出現させて説法をおこない、それぞれの釈迦がそれぞれの国で法を説くとされています。中国の竜門石窟奉先寺大仏や奈良の東大寺大仏などは、この思想を具体的に造形化したものです。

 大日如来 大日如来は密教における最高かつ、絶対の存在。密教世界の真理そのものを象徴し、従来の釈迦をはじめとするあらゆる仏菩薩はすべて大日如来が姿をかえてあらわれたものとされます。大日如来を中心とする密教の世界観は、金剛界曼荼羅と胎蔵界曼荼羅という独特の構想によってしめされ、四方四仏をはじめ大日如来をとりまくさまざまな存在も考えだされたました。大日如来は通常の袈裟をまとう出家者の姿ではなく、宝冠をいただき、装身具で身をかざる王者の姿(菩薩形)にあらわされ、常に両足をくみあげてすわるの不動の姿勢をとっています。

 

 

◆菩薩 菩薩とは、みずからの悟りをもとめるとともに、すべての衆生の救済のために修行をしている者のことをいいます。出家者だけではなく、在家者をふくめたすべての人々の救済をめざして誕生した大乗仏教において、その利他的行為の実践者として菩薩という存在が生みだされたのです。

 観音菩薩 観音菩薩は、光世音、観自在ともいう。観音はさまざまに姿をかえてあらわれ()、もろもろの災いや罪から人々を救済するとされます。顔や目、手足の数などを実際の人間のものより多くあらわす多面の変化観音としては、十一面観音、、千手観音、馬頭観音、如意輪観音、などがあります。

         

 

 文殊・普賢・虚空蔵菩薩 文殊菩薩は智を象徴する菩薩で、との論争の場面を一対の像としてあらわしたものや、獅子にのった「騎獅文殊」像としての造形がおこなわれました。普賢菩薩は文殊が智の菩薩であるのに対して、行の菩薩といわれ、あらゆる場所にあらわれて衆生を教化するとされます。文殊菩薩とともに釈迦如来の脇侍となります。法華経に白象にのった普賢菩薩が説かれ、6世紀半ばごろ以降、中国で実際の作例がみられるようになります。虚空蔵菩薩の虚空蔵は、虚空のように無量無辺の功徳を蔵しているという意味です。

 地蔵菩薩 地蔵菩薩は大地の徳を神格化したもの。インドのバラモン教の地神プリティビーに由来するといわれています。地蔵は釈尊の入滅後、弥勒がこの世に救世主としてあらわれるまでの間、にくるしむ衆生を教化し、救済すると考えられ、とくに六道の中でももっとも苦しみの大きい地獄におちた衆生を救済するとされます。日本では、平安後期以降に貴族階級を中心に阿弥陀信仰が高まりますが、生前に寄進や喜捨などによる功徳をつむことのできない一般民衆は死後の救済を地蔵にもとめたといえるでしょう。

 

◆明王 明王は通常の姿では教化しがたい衆生を怒りの相をしめして導きます。実際の人間の形とはことなる多面多臂の姿をとり、武器をもち、の姿としてあらわされる。密教においては一つの存在が仏()、菩薩(正法輪身)、明王()の3通りの姿に変化してあらわれると説き、中央と四方のあわせて五方に五尊が配される対応関係において、五仏、五菩薩、五大明王がさだめられています。

◆天 如来、菩薩、明王が衆生を救済するのに対して、天(天部)は仏法を守護する護法神と、福をさずける福徳神という性格にわけられます。天のほとんどが、もともとはインドのバラモン教やヒンドゥー教の神々を仏教にとりこんだもので、種類や姿はさまざまです。おもに仏、菩薩、明王の周囲や寺の門などに配置されています。

四天王は古代インドの護世神。東(持国天)、南(増長天)、西(広目天)、北(多聞天)の四方を守護します。(鎧兜)をまとい邪鬼をふんでたつ姿にあらわされます。

 

  十二神将は薬師如来につきしたがう(従者)。天平塑像の傑作とされる新薬師寺の神将像は、安政地震で倒壊した1体をのぞいて、当初の極彩色の名残をとどめて11体が残っています。なお、写真の迷企羅(めきら)は寺伝では伐折羅(ばさら)とされる。    

           

     

 吉祥天はインド神話の吉祥、幸運、福徳をつかさどる女神ラクシュミーをとりいれたもの。弁才天は古代インドの水の女神で、弁舌の神バーチと結合して弁舌、学問、音楽、福財、戦闘などの功徳が説かれます。大黒天はヒンドゥー教のシバ神の変化身で、戦闘神であり、財福の神でもありました。

   浄瑠璃寺の吉祥天女像

 

 

◆印相 仏像は手や指の形による印相によって、その内面の意志と教えの内容を具体的にしめしています。は、手のひらを上にむけ両手をへその前に重ねあわせる。釈尊がブッダガヤーの菩提樹の下で悟りを開いたとき、この印をむすんだとされます。禅定印を略して定印ともいい、釈迦如来や胎藏界の大日如来、阿弥陀如来などの坐像がこの印相をしめしています。説法印は仏陀が説法するときにむすぶ印で、とくにインドでは、釈迦如来が悟りを開いてのち、はじめて説法をする「初転法輪」の像にみられます。しかし中国では初唐時代に阿弥陀如来の印相として採用され、日本でも釈迦より阿弥陀の作例に説法印を多くみることができます。右手の手のひらを前にしてあげると、左手の手のひらを前にしてさげるの組み合わせも説法の印相のひとつで、釈迦にかぎらず各像にみられます。このほか、悟りを開くことを邪魔しようとする魔王に対して、釈迦が地面にふれると魔王が退散したという話による(触地印ともいう)、金剛界の大日如来がむすぶなどがあります。また阿弥陀如来の信仰では、人の生前の行いによって9通りの極楽往生の仕方があると説かれ、それぞれに阿弥陀如来の印相がきめられています。というこの印相は、定印や説法印、施無畏・与願印をアレンジして後世にきめたもので、中には実際にほとんど像がつくられることのない印相もあります。